Figure skating journal

できる限りの短い練習で、フィギュアスケート選手として頑張る娘・息子の様子をブログに綴っています。

『バッジテスト』その後①娘の辛い時期

 バッジテストが終わり、

娘と一緒にテストを受けた9割の子がそのままクラブチームへ入り、

みんなは選手としてほぼ、毎朝晩練習を始めました。

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☝️娘は、色々思いながらも、

最終的には、

娘がそのチームに対する憧れも吹っ切れたのか?籍を置くことさえ拒むようになっていました。

 

何があったのかわかりませんが、

私達も逆に決めやすくなり、

最終的には、籍を置かずに選手にもらない事を決めました。

 

しかし、娘はバッジテストが終わってすぐの翌週から、

学校へ行くのを嫌がり、バッジテストの日に怪我した足が痛いなどと言って、

毎朝学校まで送っていかないと、登校できなくなりました

 

痛いと言って通学団と通わず、

体育を休んだりして、外で遊べないので、放課に少し浮いてしまう存在になっていきました。

 

「頭痛がする、学校へ行きたくない。」と、繰り返し、ついにその週末には、「スケートを滑りたくない。」と言い出しました。

 

 

スケートを滑り始めてから一年半、

週末必ず滑るようにしてきましたし、本人も嫌がることなど一度もなかったので、

娘は今、本当に深刻な状況にあるのだ。」と受け止めていました。

 

 

娘の気持ちを少しでも軽くしてやりたかったけれど、病院へ連れて行く以外、何もしてやれませんでした…。

 

レッスンの後は、閉館まで滑るのがルーティーンでしたが、

バッジテスト後初めてのレッスンは、滑り終わった後にすぐ帰宅しました。

 

娘が、「滑りたくない。」と言って、初めて自ら靴を脱いだからです。

 

後に娘から話を聞くと、

クラブの子から仲間はずれにされたり、

からかわれたり何回か嫌な思いをしていたということでした。

 

娘はリンクに通ううちに、色々な年齢層の方々との交流をする機会に恵まれていたので、多少のことは慣れていました。

 

「選手じゃないんだから、あっち行って!ここで滑らないで!」と言われたり、

 

「あの子は選手じゃないから一緒に滑ってはダメ!」と親御さんに言われていたのは、後から知りました。

 

 

いつも見つめていたつもりでしたが、私は何も分かっていませんでした。

 

リンクの外から見ている私には分からない、選手じゃないゆえのストレスが、

氷の上では存在していたのだと、その時初めて、現実を目の当たりにしたのでした。

 

娘は、スケートが好きだからこそ、親に愚痴らず、練習に励んできたのだと思いました。

 

でもクラブに入れなかった事で、一年以上毎週末一緒に練習してきたお姉ちゃんに

沢山の子の前で、

「選手じゃない子がいるから、ここでは話したくない。」と、

突然仲間はずれにされた事だけは、泣けてきて、我慢できず辛かった話してくれました。

 

バッジテストから、一週間、二週間…と経って、足はとっくに治っていたはずなのですが、足が痛いと言って、

毎日吐き気と、頭痛、時には微熱を出すようになっていきました…。

 

親としても、あの時の記憶はなかなか上手く言葉になりません。

 

しかし、こうして書き綴る事が、私自身の気持ちの整理になるのだと思っています。

 

ここまでお付き合い頂き、聞いてくださって、本当にありがとうございます。

 

続きはお手数ですが、

👇ご一読頂けると嬉しいです☺︎

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